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 お父さんと、夕方の道を散歩した。

まだ5時前なのに冬の空はすぐに暗くなってしまうから凄く寂しい。
お父さんは、お母さんが編んだ紅いマフラーを首に巻いて、私はお母さんが編んでくれた紅いセーターを着た。お揃いの毛糸で作ったんだよ、って、言ってた。
 五年前の空が丁度こんな暗さになり始めた時に、お母さんは病院のベッドの上で眠った。お父さんは泣きそうな表情を必死で隠そうとしながら、まだ三歳で状況がよく飲み込めてなかった私の頭を必死に撫でてくれていた。ただお母さんが、絵本の続きを読んでくれないものだから、私がお母さんと一緒に家に帰りたいなんて我侭を言い続けてたのを怒って、もう読んでくれないのかなって怖くなって、それにいっつもにこにこ笑ってるお父さんが、両目からいっぱい涙を零して、私には服の袖で拭くんじゃないよって怒るくせに、鼻水をだらだら流してすすって、私の頭をずっと撫でながら抱き締めてきたから、夕方の真っ赤な空と重なって凄く凄く寂しくて悲しくなって、私も大声で泣きじゃくった。お母さんは死んだんじゃなくて、ちょっと疲れたから眠っただけだよってお父さんは必死に言ってたけど、数日後のお葬式で真っ白の服を着て、箱の中に入れられてるお母さんを見たら、ああ死んじゃったんだなって思った。お母さん、窮屈そうだった。私はお母さんが入れられてる箱の中に、保育園で描いた絵を入れてあげた。お母さんが金魚大好きで、その中でも真っ赤な金魚は綺麗で大好きって言っていたから、母の日の為にお母さんに絵を描きましょうって保育園の先生が言ったときに、病院にいるせいでお母さんが大切に飼ってた金魚のゆみちゃんを見れないのは可哀想だからって思って、ゆみちゃんを描いた、その絵を。真っ白の大きな画用紙いっぱいに赤のクレヨンで、真っ赤な金魚のゆみちゃんだけを描いて後ろにお母さんへって大きく書いた、赤のクレヨンで。その日に、会社からそのまま迎えにきてくれたお父さんの車に乗って家へは寄らずに病院に行って、その絵を渡した。お母さんは凄く嬉しそうに笑って、ありがとう、って何回も言って、ゆみちゃんは元気かって何度も聞いて、可愛いね、綺麗だね、上手だね、ってずっと私の頭を撫でてくれていた。私はお母さんが嬉しそうなのがとても嬉しくて、柔らかい細い手が私の頭を撫ぜてくれるのが気持ちよくてお母さんの言葉一つ一つが心地よくて、でもずっと家へ帰れていないし、ご飯はつまみ食いさせて貰ったら味が薄くて美味しくなかったし、何よりお母さんは金魚のゆみちゃんを眺めながら餌をあげながら話し掛けるのがとても楽しそうだったのに、それすら出来なくなってしまって、可哀想だなあと思って、少し悲しくなった。私はその悲しい気持ちを隠す為にお母さんに抱っこしてって頼んで、お父さんに止められたけれどお母さんがいいよいいよって言ってくれたから、ベッドへよじ登ってお母さんと一緒のお布団へ数ヶ月ぶりに入って眠った。お母さんの体は私が知っていたものよりずっと細くて硬くなっていて、私はお母さんの柔らかい体に包まれて眠るのが大好きだったんだけど、それすらも叶わなくて、世界中で今一番、お母さんと私が不幸な母子のような勘違いをしながら眠った。不幸だなんて思っていたけれど、でもやっぱりお母さんの腕の中は心地よくて私はぐっすりと眠っていた。その日に見た夢の事は少しだけれどまだ覚えている。お母さんよりもずっと大きく育ったゆみちゃんと私と、お母さんとお父さん。ふわふわと浮いていた。ゆみちゃんが一番前で、私たちは後ろからゆみちゃんに着いていった。それだけしか覚えていないけれど、気持ちのいい夢だった。目が覚めるとお家へ戻っていて、またあの木で出来た暗い天井だった。お父さんはもう寝てたんだろう、真っ暗で、傍のカーテンから少しだけ覗く月の明かりも心細いし、隣には本当はお母さんも居る筈なのに私と、お母さんが入院してから少しやつれたお父さんの二人っきり。寂しくて泣いた。お父さんが起きるのも気にせずに泣き喚いていたらお父さんが目を覚まして、本当は疲れていたんだろうし、明日はまた朝早くから仕事に行かなければならなかったのだろうけど、怒りもせずに私を抱き寄せて、よしよしって背中を摩ってくれた。私が落ち着いたら絵本を読んでくれた。私はそのお話の中の女の子が、森へと入っていくところで記憶が途切れて、お父さんの腕の中で眠った。その日は多分、一番幸せな日だった。一日にお母さんとお父さんの両方の手の中で眠る事が出来たんだから。


 お葬式が終わってから数週間経って、私もお父さんもまだ心にぽっかりと開いた穴がちっとも塞がらないままの時に、ゆみちゃんも死んでしまった。朝目が覚めていつものように玄関にいるゆみちゃんに餌をあげに行ったら、お父さんと私がお母さんに誕生日プレゼントにってあげた小さな透明の金魚鉢の中で、お腹を上にして目を見開いて、ぷかぷかと浮いていた。私は怖くてパニックになって、わあわあ泣き叫びながらお父さんを呼んだ。足ががくがく震えて動かなくて、お父さんが来てくれたら腰にしがみついた。お父さんはまた、例の頭よしよし、をしながら、私を台所へ連れて行ってジュースを飲ませてくれた。私が落ち着いたら、ゆみちゃんは私が生まれて少ししてから家へ来たという事、三年も生きたんだよという事を優しく説明してくれて、後でお墓作ってあげようねって言った。私はコップに波々と注がれたオレンジジュースを飲みながら頷いた。その日お父さんは会社を休んだ。お母さんが死んでから一週間はお父さんと私の二人ともお仕事も保育園も休んでいたけれど、おばあちゃんもおじいちゃんも両方死んでしまっていて近くに親戚もいなくて、本当なら今日から二人してお仕事と幼稚園へ通い始めなければならなかったんだけれど、一日だけお休みの日を延ばした。その日はゆみちゃんの為の日だった。私がジュースを飲み終わるとお父さんは朝ご飯のコーンフレークを準備、二人で一緒にコーンフレークを食べた。食べ終わった私たちはまた玄関へと向かった。私は本当は怖くて行きたくなくて、お父さんも埋めてから呼んであげるよって言ってくれたんだけれど、私はそれじゃあゆみちゃんが可哀想ってわけのわからない事をいいながら、お父さんの腰にしがみついたまま玄関へ行った。お父さんが手でゆみちゃんをそっと抱き上げて、ティッシュで綺麗に包んで外へ運んだ。一週間ぶりに直にお日様を浴びた日だった。私がスコップで何も咲いていない花壇に穴をほって、お父さんは一度包んだティッシュをまた開いて、目を見開いたままのゆみちゃんを穴の中へ置いた。そして私が土をかけると、お父さんが庭にある桜の木の小枝をいっぽん持って来て立てた。私たちは二人一緒に手を合わせて目を瞑る。お母さんが居なくて寂しかったのかな、とか天国でお母さんと会えるかな、とか色々考えていたらまた悲しくなってきて、涙がぼろぼろ出てきた。そうするとまたお父さんが頭をよしよしと撫でてくれる。お父さんは病院で一度泣いて以来、二度と私に泣き顔を見せた事は無かった。本当はお父さんだって辛かったんだろうな、って思う。寒い寒い冬の朝だった。

 

 小学校へ入ってから友達も出来て、私はお母さんの事で泣かなくなった。ゆみちゃんのお墓を見ても泣かなくなった。でも毎日お母さんの写真を見ているし、ゆみちゃんのお墓の前で手を合わせている。授業参観日の時とか運動会の時とか、やっぱりお母さんが居なくて辛い思いをする事は多いけれど、その分お父さんがたくさん私に優しくしてくれている。お仕事忙しいのに、いつも笑顔で私の話を聞いてくれる。
今日も、私が散歩したいだなんていきなり言い出してお父さんを困らせたんだけど、お父さんは笑顔で行こうかって言ってくれた。充分厚着している私に更にあの紅いセーターを着せて、自分は紅いマフラーをつけて、玄関を出た。ゆみちゃんが泳いでいた金魚鉢は綺麗に洗ってビー球を入れて玄関に飾ってある。
 外は寒くて吐いた息が真っ白になって面白い。私は何度も白くなる息を楽しんだ。お父さんの左手と私の右手が繋がっていて、それを見て安心して笑った。一緒にマンホールを飛び越したりして遊んだ。友達の家の前を通りかかった時に、お父さんが私の名前を呼んで上を見てって楽しそうな弾んだ声で言った。何だろうと思って言われた通りに空を見上げたら、
大きな金魚のゆみちゃんが空を泳いでいた!私は「ゆみちゃん!」って叫んで、ゆっくりと進んでいくゆみちゃんを追いかける。ゆみちゃんは振り返らずに空をゆっくりゆっくり泳いでいく。見失わないように私はお父さんの手をひっぱるようにして走った。つられてお父さんもはや歩きになっていた。ゆみちゃんが空を泳いでいる、お母さんも一緒にいるのかな、わくわくしながら私は追いかけた。大分経って私の息もあがり、体が熱く感じ始めた頃にお父さんが「ゆみちゃんはこれからずっと遠くへ行くんだよ。」って言った。何処まで行くの?ってたずねるとずっと遠いところだから、もう一緒には行けないんだよ、って残念そうに言った。私はもう家へ帰らないといけないんだなってわかって、残念だし寂しかったけれど、空を泳いでいるゆみちゃんがこっちを全然振り返らずに真っ直ぐに泳いでいっているから、きっとゆみちゃんは早くそっちへ行きたいんだって思って、バイバイって手をふった。ゆみちゃんもバイバイって言ってくれてる気がした。

感謝!邪鼓様より【HP】